「あの日」から22年

友人からは朝7時過ぎの新幹線に乗って新大阪まで移動し、阪神に乗って灘五郷の一番西側にある『今津郷』から順にまわると連絡があった。

灘五郷は課税出荷数量で全国の30%を占める最大の日本酒生産地であり、震災時の1月半ばは酒造りのピークを迎えていた。しかし震災で木造の蔵の多くが倒壊し、斜め向かいに住んでいたおじさんが「あーもったいない、もったいない」と嘆いていた記憶がある。

東灘区は灘五郷のうち『魚崎郷』と『御影郷』があり、『魚崎郷』には千代田蔵、松竹梅、浜福鶴、櫻正宗が、『御影郷』には白鶴、菊正宗、剣菱、戎面、福寿、泉正宗、大黒正宗などの酒蔵がある。資料館や記念館が設置された酒蔵もあり、バスツアーの人気スポットになっているようだ。また蔵開きにあわせて試飲イベントなどもやっているが、私はお酒を少ししか飲めない体質なのでこのイベントは行った事が無い・・。

新在家駅前で友人と再会。まるでつい先日も会ったような感じですぐ馴染み、私の車で思い出の地巡りに出発。友人は昔住んでいたRICにあるホテル(ホテルプラザ神戸)を予約していたので島もぐるっと回り、ついでにホテルに荷物を置いて、私の馴染みの店に移動した。

友人は震災直後、横浜から引っ越す事はなかったそうだ。「あの後父親は単身赴任で2年くらい不在だったけど、その後東京勤務になって引っ越す理由がなくなったんだ」「中学卒業までは野球を続けたけど、高校・大学はアルバイトと海外を飛び回って、ワーホリもした」「会社の後輩と付き合っていて来年結婚する予定」など、「あの日」以降の友人を知った。

「今日仕事で酒蔵を周ったけど、震災直後に組織された『灘の酒蔵を復興させる会』をはじめとして、住民・酒蔵メーカー・行政が一体となって復興を行った成果を目の当たりにしたよ。自分の記憶は震災直後のあの景色で止まってたから、ホント変わったよね。2011年に発生した東日本大震災時は、被災した県の酒造組合に対して製造設備を提供して支援するなど、震災経験を活かした取り組みをしていた事を今日知ったよ」
あの時と同じ眼差しで友人は言った。